切手を素材にした作品で知られる美術家・太田三郎さん(70)=岡山県津山市=が、最寄りの郵便局で日々の消印を押してもらう取り組みを1985年7月から続け、17日に「10000日」を達成した。日付や局名が記された1枚1枚がアート作品として集積され、自らの人生の足跡を記録するプロジェクトが35年かけて完了した。
「郵便局通いは今日が最後。よく続いたと思う」
午前10時ごろ、自宅近くの津山北園簡易郵便局にやってきた太田さんは少しほっとした表情で言った。同局には、東京から家族5人で移り住んだ94年3月以来通い続けており、局員たちとはすっかり顔なじみの仲だ。
1日1枚、地道に積み重ねて迎えた1万枚目。いつもと同じアブラナとチョウがあしらわれた切手を差し出し、押印してもらった。この日が最後の来局になると聞いていた菅谷節子局長(70)と局員2人(局長の長男と次男の嫁)から記念の花束が贈られた。
家族で長年見守ってきた菅谷局長は「目的に向かい、信念を貫く姿に人としての生き方を勉強させてもらった。さみしくなるけど、新しいプロジェクトを考える時はまた郵便局に関係のあるものになればうれしい」と少し涙ぐんだ様子。太田さんも、局長家族の結婚や子どもの誕生などさまざまな出来事に接してきており、「親せきみたいな付き合いをさせてもらった。いつも気持ち良く対応してもらい、ありがたかった」と感慨深げに話した。
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山形県鶴岡市出身の太田さんは地元の高専を卒業後、上京してデザイン事務所に勤務。85年7月5日から、押してもらった消印をアート作品にする活動を始めた。当初は職場近くの銀座や京橋の郵便局が多く、転居してからは津山北園が半分近くを占めるまでに。「最初のころはアートとして認めてもらえるか心配だった。その不安を克服するためにひたすら郵便局に通った」と振り返る。
「Date Stamps」(デートスタンプス)と名付けた作品は、今では太田さんの代表シリーズだ。同じ絵柄の切手100枚ずつをシートに貼り付け、額に納めたシンプルなスタイル。消印を通して自身の所在地を記録しており、リストを眺めると、「妻の実家への結婚報告や新婚旅行、3人の子どもの誕生など、人生の節目節目を鮮明に思い出す」という。けがで入院して消印収集ができなかった日々もあり、笑って当時を懐かしむ。
90年に1000日分を作品として初発表し、2000年に4400日分、昨年秋に岡山県岡山市の県立美術館で開いた大規模な個展では9600日分を出展し、高い評価を得ている。
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昭和、平成、令和へと至る美術家としての軌跡は切手シート100枚に残される。人生の半分の年月をかけ完結した大作に、「健康に恵まれ、思いがけない事故などもなく、無事に作り終えることができたことに感謝したい」と太田さん。新型コロナウイルスが流行した今年はその思いをさらに強くしたという。
同じく日課にしていた種子の採取も26年目となり、今年で終了する予定だ。「長く続けたプロジェクトから開放され、世界の見え方も変わるだろう。これまでやったことがない作品に取り組み、自分の中に眠っているものに出合いたい」と、新たなステップへと制作意欲を新たにしている。
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1 35年間、郵便局通いを日課にしてきた太田さん。自身の足跡を記録した消印はアート作品に