津山藩初代藩主・森忠政公(1570〜1634)の命日の7日、岡山県津山市小田中にある森家菩提寺の本源寺と森家にゆかりがある同市戸川町の妙願寺で、それぞれ390年忌の法要が営まれ、参列者が遺徳をしのぶとともに歴史顕彰への決意を新たにした。
本源寺では森忠政公報恩会の主催で約80人が本堂に参集。護本尊(まもりほんぞん)の千手観音菩薩像が開帳され、華山義道住職らの読経が響く中、本尊と森忠政公坐像に焼香した。法要後、華山住職による「美作国と森家と報恩会」と題した講演、抹茶と菓子の接待、御霊屋と墓所の参拝があった。
これに先立って同報恩会の第10回総会も開かれ、勇退する牧山政雄会長(78)の後任に竹内佑宜さん(75)を新会長に選んだ。竹内新会長は「森忠政公は津山に城下町という文化的な要素を加えた大恩人。報恩会の全市的な盛り上げへ役員一同、頑張っていく」と決意を述べた。牧山会長は名誉会長に就任した。
妙願寺では森藩時代を語る会(髙山科子会長)が主催し、会員約30人が参列。昨年4月に森嵩正住職から継承した森順正住職(第16代)が本堂で読経し、一人ずつ焼香した。
続いて本年度総会があり、髙山会長が「寺や神社のあり方が過渡期を迎える中だが、先人が築いてきた歩みを尊びながら、互いに切磋琢磨(せっさたくま)していきたい」とあいさつ。議事では、2年後に語る会が50周年の節目を迎えることから記念誌を作ることや、岐阜県可児市など市が縁組を締結する歴史友好都市との周年記念事業への協力などについて申し合わせた。
この後、森藩時代についての勉強会を行い、参加者は熱心に耳を傾け、知識を深めた。
同寺は、美濃金山城(現岐阜県)城主だった森忠政が、津山に入封後の1617(元和3)年、美濃金山に妙願寺を建てた母・妙向尼を弔うために現在の地に移した。
◆森忠政 織田信長に仕えた森可成の六男。本能寺の変後は豊臣大名として活躍し、豊臣秀吉の死去後は徳川家康に接近。関ヶ原の合戦後、信州・川中島を経て津山藩主となり、城下町の建設など、現在の津山の基礎を確立した。