忘れ去られた中世の城館跡か 遺構関連の地名残る 皿川右岸の丘陵

歴史・文化 曲輪とみられる平坦部を確認する赤坂さんら
曲輪とみられる平坦部を確認する赤坂さんら
         

 皿地区の皿川右岸の丘陵に、中世の城館に関連した「構」(かまえ)などの地名が残されていることを、歴史研究家の赤坂健太郎さんが資料で見つけ、地域住民や山城関係者らとともに現地を調査した。小字のほか地形や立地状況などから、忘れ去られた遺構の可能性が高そうだ。
 赤坂さんは津山おくにじまん研究会代表、津山市史民俗編執筆者。地名に詳しかった故白石哲さん(小田中)が作成した「小字地図」(津山郷土博物館蔵)を調べていて気づいた。美作地方で城館遺跡に多く見られる名称「構」をはじめ、「古屋敷」「市場屋敷道ノ下」「構出口」「毘沙田」「出口」「国司坂」といった小字名が一帯に記されていた。
 当該の場所は、皿から荒神山に抜ける旧出雲往来と津山往来との結節点に近い交通の要衝にあり、笹山に築かれた皿山城跡の北麓(ろく)に位置。過去の空撮では畑などの耕作地として利用されていたとみられ、地形図でも雛段状に3段の曲輪(くるわ)のような平面が重なっているのが見て取れる。
 「皿構跡」の探査は今月3日に行われ、赤坂さんの呼びかけで佐良山住民自治協議会の歴史部会、美作の中世山城連絡協議会員ら11人が参加した。段状になった平坦地や、斜面を削った切岸のような地形を確認。そばを流れる種川を堀にした可能性も推察できそうだ。中世のものと思われる備前焼と勝間田焼の破片を採集した。
 嵯峨山城跡、神南備城跡といった山城、佐良山の平野を見渡すことのできる絶好の場所。「二つの往来ににらみをきかせる立地や、川を堀の代わりとしているような状況、人工的に切ったような斜面などから城館跡と考えられるのでは」と美作の中世の山城連絡協議会の長瀧薫さん。
 赤坂さんも「地名の存在、現地の様子などから中世の城館と見て間違いないだろう。南方の皿山城跡との関連性も考えられる。佐良山地域を治めていた有力者の住まいがあったのでは」と話す。
 同住民自治協議会では今回の調査を皿地区の歴史冊子を作るための参考にするという。
 前原茂雄氏=津山市史編さん委員(日本中世史)の話 状況から判断して、中世後期の小規模在地領主の居館跡と考えてよい。遺構がある長岡庄を含む美作地方は、強大な権力体が発達しない代わりに、小規模な在地領主層が集落ごとに点在し、独自の支配領域を有した。その拠点であろう。今後は、遺構単体だけでなく、周辺地域との関係性など相対的な視点での評価が求められる。

皿構跡の遠景。左端は皿山城跡


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