「自分に残された、最後に社会の役に立てることは何だろうか」
そんな自らへの問いをきっかけに、北川久さん=岡山県津山市八出=は20年以上前の介護の記録を出版することを思い立つ。そして、『母と過ごした日々〜あるサラリーマンの愛と葛藤の介護生活日記』を上梓した。
1989年6月から2001年6月まで12年間の、北川さんによる母親の介護と生活の記録(日記)。科学者(獣医師)らしく抑制の利いた文体でつづられている。
介護が始まる年、ベルリンの壁が崩壊している。北川さんは当時49歳で、母親は82歳。一人住まいをしていた母親との同居に踏み切った。朝5時起床、深夜就寝の生活が始まる。
徐々にひどくなる母親の物忘れ。勤めと介護の間で悩み迷う日々。そんな中、妻に大腸がんが見つかり、二重の介護生活に苦闘する日々が続く。妻の死から約1カ月後、阪神淡路大震災が発生する。
このころから母親が排泄を失敗するようになる。風呂場で母親の体を洗い、着衣を洗濯・消毒する日が度重なる。認知症は更に進み、北川さんは「おとうちゃん」と呼ばれるように。
自分が息子だということも分からなくなっている母親にいらだちを感じ、一方で、現実を知らない肉親の無神経な言動に憤りを覚える。病院の母に対する行き届かない対処にも神経をすり減らす。そして介護をめぐる愛と葛藤の間でゆれる自分を必死に支える。
北川さんは母親が大好きだったホタル狩りに何度も連れていく。子どものように喜ぶ母を見て、「良かった」とうれしさが込み上げる。垣間見せる必死に生きようとする母の姿と、自分に向けられた信頼の絆、それだけを頼りに二人の時間が過ぎてゆく。1998年10月、台風10号が津山に大きな被害をもたらす。
2000年、38年間勤めた岡山県を辞する。このころ、母親の住める家の新築に着手。「苦しさの中でただただ懸命に生きている母を見つけて、とても愛おしく感じた」―。しかし、この家に、母親が住むことはなかった。
「(出版の)意義を理解していただけるようでなければ意味はない」。そう考えた北川さんは、出版への理解と支援を求めてインターネットのクラウドファンディングに挑戦する。
入力は片手打ち。決してパソコンが得意なわけではないが、年齢に臆することなく「無我夢中」で取り組み、32日間で100万円の目標を達成した。
出来上った本はまず69人の支援者に贈った。そして、これから親の介護に向き合う人はもちろん、「介護や看護さらには医学の道に進む人たちに読んでいただければ、より大きく社会の役に立てていただけるのではないか」と、介護・看護・医学関係の学校などで副読本としても使ってもらおうと考えている。第一弾は250冊を美作大学(社会福祉学科)へ贈った。
北川さんは、母親が介護を必要とするようになったときの年齢を一つ越えた。「挑戦して本当に良かった。老いを見つめる良い機会にもなった。人生への好奇心を保ち、新しい経験への挑戦を続けたい」
本は四六判、168ページ、1540円(税込)。
取り扱いは、柿木書店(☎0868-22-5669)。