火の見櫓調査

歴史・文化
         

 数が減りつつある警鐘台の「火の見櫓(やぐら)」を調べている郷土史家の赤坂健太郎さん(46)=瓜生原出身、岡山市在住=は10日までに、津山市内に137基が現存していることを確認し、記録した。昨年9月に本紙で調査報告をして以降、新たな情報提供などにより20基増えた。
 内訳は旧市内92基、勝北地域22基、加茂地域12基、久米地域6基、阿波地域5基。前回調査では久米地域には現存しないと思われたが、木製や鉄筋コンクリート柱の櫓を新たに確認した。
 形状としては柱型が約70基と全体の半数近くを占める。「県南や他の地域でこれほど集中している所はなく、この形状が津山の一般的な櫓とされることが分かった」とする。勝北地域では、各集落に大型の櫓が造られており、さらに東部の奈義町、旧美作町、旧勝田町などでも同様の櫓が見られる傾向がある。撮影した櫓を比較すると、形状などのデザインはさまざまで、「一つとして同じものはなく、製作者のセンス・美意識が垣間見られる」という。
 半鐘については、櫓につるされているものや、既に取り外されたものなど、明治後半から戦前ごろにかけて作製されたものが広く見られた。「戦時中の供出を免れ、それぞれの地域で大切に残されていることがうかがえる」と語る。
 また明治後期の津山城下、吹屋町の鋳物師・百済市郎の銘が複数確認でき、市内で8個、鏡野町内でも1個、前回紹介した奈義町、旧落合町を含め、美作地方に広く供給されていたことが分かった。
 津山おくにじまん研究会代表でもある赤坂さんは「櫓の確認総数は増えたが、未調査の場所もあり数はさらに増える可能性がある。しかし、老朽化に伴う解体・撤去で今後、減少していくことが考えられる。先人たちが自分たちの地域を火災から守ろうと苦心して建てたものであり、その思いを受け止めながら記録し、後世に残していきたい」と話している。


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