国道53号・津山南道路の整備に伴い、県古代吉備文化財センターは本年度、高尾の高尾北ヤシキ遺跡を発掘調査している。これまでに弥生時代、古墳時代、鎌倉時代、室町時代の竪穴住居や段状遺構が30基程度見つかっている。調査区全体に広がっており、時代ごとに人が住み続けた集落跡とみられる。
遺跡は全国的に知られる「佐良山古墳群」の地域内にあり、皿川に面した東向きの丘陵斜面に立地。昨年度の高尾北ヤシキ古墳と並行して、昨年10月から調査している。
谷に堆積した土は深いところで約1・5㍍あり、これを掘り下げていくと、弥生、古墳後期、鎌倉、室町と幅広い時代の遺構が斜面に沿って次々に配置されていることが確認された。斜面を平らに造成した段状遺構と呼ばれるもので、作業場や建物だったと考えられる。これまでに24基程度確認され、各時代の柱穴なども検出した。今後も遺構の数は増えていくとみられる。
古墳時代後期の竪穴住居は6軒。そのうち、丘陵が張り出した場所の近くで見つかった住居は1辺約3?の方形で、煙を排出する煙道を伴うかまどが造られていたことが分かった。かまど周辺には土師器の甕(かめ)が4個置かれ、完形に近いという。
見つかった遺物の時代も幅広い。弥生時代の土器や石器、古墳時代の土師器、須恵器、鉄器、鉄器生産の際に出る不純物の塊である鉄滓(てっさい)、奈良〜平安時代の須恵器、土師器、鎌倉〜室町時代の勝間田焼、備前焼、瓦質土器、輸入された青磁・白磁などが出土した。
このほか、弥生時代の木棺墓と古墳時代後期の土坑墓が1基ずつ見つかった。土坑墓からは須恵器の壷(つぼ)1点が出土した。
調査を担当する米田克彦総括主幹は「集落が移り変わりながらも続いていることが特徴。古墳時代の遺構は佐良山古墳が造られていった時期とも重なる」と話している。
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高尾北ヤシキ遺跡で見つかっている竪穴住居や段状遺構