勝負峪遺跡(平福)と桑山古墳群の発掘調査、ほぼ終了

歴史・文化 勝負峪遺跡(平福)と桑山古墳群の発掘調査、ほぼ終了
         

 国道53号・津山南道路の整備に伴い、県古代吉備文化財センターが行う平福の勝負峪遺跡と桑山古墳群の発掘調査がほぼ終了した。同遺跡では弥生時代中期ごろと推定される木棺墓群が大小計20基確認され、そばでは住居跡も出土。今月から、南に位置する「高尾ヤシキ遺跡」と「高尾北ヤシキ古墳」の発掘に着手している。
 丘陵上に築かれた同遺跡は古墳の関連調査で新たに発見されたもので、木棺墓群は丘陵の鞍(あん)部に位置する。木棺墓は地面に長方形の墓坑を掘り、木の板を組み合わせた棺に遺体を納めて埋葬したもの。小口板を差し込んで固定するための細長い穴が底面に2カ所あり、くぎは使わず、側板とふたを合わせて箱型にしたと考えられる。
 子ども用とみられる墓坑も含め20基確認し、墓地を区画する石列も出土した。副葬品などの遺物、人骨、木棺そのものは見つかっていない。そばでは墓地の形成以前に作られたとみられる竪穴住居1軒も出土し、土器の破片が見つかった。
 また、丘陵のほぼ頂部では同じ弥生中期ごろとみられる竪穴住居が1軒見つかり、4カ所の柱穴や土器が出土した。
 調査を担当した尾上元規総括副参事は「弥生時代とみられる集落と墓地の両方が発見され、土地利用の仕方といった状況が明らかになってきた。今後、土器の検討などを行えばさらに詳細が分かる可能性がある」と話す。
 丘陵の先端にある桑山古墳群は2018年度から計5基を調査した。横穴式としては県北最古級の6世紀中ごろの石室が見つかるなどの成果があった。尾上総括副参事は「この地域に横穴式石室が導入されるころの古墳群であることが分かった。竪穴と横穴が混在し、どのように横穴式が入ってきたかという状況や地域の様相をよく表しており、貴重だ」としている。
 同センターは続いて、弥生から中世までの集落遺構と推測される高尾北ヤシキ遺跡と、高尾北ヤシキ古墳1基の発掘調査に移った。


勝負峪遺跡での木棺墓群の調査=7月末


>津山・岡山県北の今を読むなら

津山・岡山県北の今を読むなら

岡山県北(津山市、真庭市、美作市、鏡野町、勝央町、奈義町、久米南町、美咲町、新庄村、西粟倉村)を中心に日刊発行している夕刊紙です。 津山朝日新聞は、感動あふれる紙面を作り、人々が幸せな笑顔と希望に満ちた生活を過ごせるように東奔西走し、地域の活性化へ微力を尽くしております。

CTR IMG