高尾宮ノ前遺跡 室町を中心とする時期と考えられる屋敷地の跡が検出

歴史・文化
         

 国道53号・津山南道路の整備に伴い、県古代吉備文化財センターが発掘調査を行っている高尾の高尾宮ノ前遺跡で、室町を中心とする時期と考えられる屋敷地の跡が検出された。溝で区画された内側に多数の柱穴を確認。また、古墳時代後期の土坑墓1基も見つかった。
 遺跡は皿川を南に見下ろす丘陵端部に位置。西側の調査区に続いて、7月から東側約2500平方?を調べている。
 丘陵地に屋敷地を確保するため、斜面を大きく削って平坦な場所を造成していることが判明。東西幅約25?の溝の内側に、これまでに7棟の建物を確認した。柱の配置から床を張った総柱建物(床面積30平方?以下)などとみられる。柱穴の直径は大きいもので約50〜60?、深さ約70?。底に柱材や礎板が残存しているものもあった。柱穴が重なり、建て替えを行った痕跡も確認された。
 出土した備前焼のすり鉢や壷(つぼ)、土師器の皿といった遺物から、室町時代を中心とする15世紀代の遺構と推定される。
 また、屋敷地の外で6世紀末〜7世紀はじめとみられる古墳時代後期の土坑墓が見つかり、須恵器の杯(つき)4個体が完全な形で出土した。
 調査を担当する團奈歩総括副参事は「中世段階に丘陵を削って造成した平場に、屋敷が建てられていることが分かった。屋敷地は津山往来と皿川を見下ろす交通の要所に位置しており、周辺の中世城館と合わせて関連を考えていきたい」と話している。
 同センターは12月に現地説明会を行う予定。


溝で区画された室町時代を中心とする時期と考えられる屋敷地

底に礎板が残存した柱穴
古墳時代後期の土坑墓で出土した須恵器の杯(つき)


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