岡山県津山市の城西公民館でこのほど、津山郷土史懇話会(末澤敏男会長)主催の勉強会が開かれ、会員ら20人が「津山藩2代藩主・森長継公と禅宗寺院」にまつわる講話に聞き入った。
本源寺の華山義道住職が講師を務め、初代藩主・森忠政が後継にと考えていた三男・忠広が1633(寛永10)年に30歳で病死し、翌年には忠政が65歳で没したのを受け、外孫の長継が25歳の若さで家督を相続した経緯から説明した。
本源寺については、森家の菩提寺として同市小田中に移された安国寺が龍雲寺と改め、忠政50回忌の1683(天和3)年に改号された詳細にもふれた。
長継は若くして亡くなった母・於郷(おごう)の墓(同市西寺町)の傍らに建立された渓花院に修飾を加えて拡張し、さらに1656(明暦2)年、その菩提をまつる宗永寺を建立したことに言及した。
絵図を見せながら「当時の宗永寺の伽藍(がらん)は、本堂が津山で3本の指に入る規模で美麗を極めたとされる。長継が建立した社寺は、本源寺御霊屋、高野神社本殿、徳守神社社殿、鶴山八幡宮など現存する建造物のほとんどが国・県の重文に指定され、貴重なものばかり」と強調した。