リスタートを切った今月の 「ザ・作州人」 は立教大学教授の神橋一彦さん(62)をお迎えした。 長年、 法学の世界に身を置き 「行政救済法」 を中心に研究。 行政から市民を守るための理論や法律の仕組みを提示し、 大学内外で活躍してきた。 その一方で体育会剣道部長として、 2019年には大学女子日本一に導いている。
神橋さんを前にすると18歳の晩秋を思い出す。 彼とは高3のクラスメート。 共通1次試験を前に焦っていた私は教室の小さな机をはさんで彼に 「政治・経済」 を教えてもらったものだ。
そのころから勉強熱心で教え上手。 だから現在の立場も不思議に思わない。 バンカラのイメージが残る東北大学法学部へ進むと、 同期に立憲民主党を立ち上げた枝野幸男氏や自民党の森まさこ氏らがいた。 そこから7年の大学院時代を経て、29歳のとき金沢大学に助教授という厚遇で迎えられる。
その金沢で大きな出会いがあった。 小5から始めた剣道を一時中断していたが、 再び竹刀を握ることになり、 運命が変わる。
「運動でもしようかと思っていたとき、 カーラジオから市内で剣道教室をやるという知らせが聞こえてきたんよ」
それなら防具をと思い、 訪ねた武道具店のおかみさんから教えてもらった金沢大学教育学部の教授で剣豪と呼ばれた恵土孝吉氏のもとを 「アポなし」 で訪ねたところ 「一緒にやりましょう」 と快諾してもらった。
ここから一気に人脈が広がっていく。 37歳から1年7カ月、 ドイツの名門フンボルト大学に留学。 「東西統一から10年ほどのころ。 言葉が通じない世界で生き抜く力を学びました。 留学とはそんなもの」 と振り返る一方、 剣道を通じて現地の人々との交流が深まり、 再訪の折りには宿泊場所を提供してもらったと言う。
帰国後は業績が認められ、 39歳のとき立教大学から招聘 (しょうへい)された。 活躍の場はさらに広がり、 専門分野の行政法、 特に行政救済法の研究に力を入れ、 著書を出版。 その一方で政府機関はもとより津山市の市政アドバイザーなども務めた。また東京都情報公開審査会では、 津山高の先輩で都議会局長を務めた隅田憲平氏と顔を合わせ 「驚いた」 と話す。
剣道は 「二段しか持っていない」 と話し、 決して剣の達人ではないが、 体育会剣道部の部長として現在も部員や部の運営をサポート。 2019年には明治大を破って大学女子日本一に輝いた。
「3回戦まで行けばと思っていたら波に乗って優勝しました。 指導する役目ではないけれど、 学生と付き合いがもてるのは剣道のおかげです」
その剣道部。 実は当時の監督は私の知り合いということが分かり、3人ともビックリ。「池袋で一緒に飲もう」 という約束は実現していないけれど、 不思議な縁を感じたものだ。
そんな神橋さん、 どこからどう見たって堅物にしか見えないが、 決してそうではない。付き合いはいいし、 高校の関東同窓会の編集委員長も務めるなど裏方もいとわない。 何より、そのニコッとした笑顔が人を引きつける。
父は県庁職員で母方の祖父は洋画家。「芸術的なDNAは引き継いどらんみたい」 と苦笑いしつつもさまざまな媒体でエッセイや回顧録などを執筆、 寄稿している。 そこに共通して流れているのは 「記憶の伝承」 だ。
「東日本大震災で学生時代11年住んだ街の被害を見たとき、 生き残った人ががんばらなきゃと思いました」
ふと思い出す言葉は北小時代に体育館脇の石碑に刻まれた 「もうひといき もうひといき」。 きっと、 この思いで自分自身を励まし続けてきたのだろう。
いまでは東京での生活が一番長くなったが、 故郷津山への思いは強い。
「東京は人は多いが、 人のつながりがやせている。 その点、 僕は恵まれていた。 津山という豊かな土壌で育ち、 いろんな先生と出会い、 それがこやしになった。 洋学資料館のスタッフは素晴らしいし、 広報津山もトップクラスの広報誌だと思う。 津山に貢献していないのは申し訳ないんよ」
神橋教授の講義をもっとじっくり聴きたいものだ。
(山本智行)
◇神橋一彦 (かんばし・かずひこ) 1964年7月3日生まれ。 津山高から東北大学法学部、 同大学院博士課程を終了し、 94年に29歳で金沢大学法学部助教授・博士。 ドイツ留学を経て2004年から立教大学法学部教授。 16~18年同学部長。 専門は行政法。 体育会剣道部長。 著書に 「行政救済法」 など。